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欲しい家

更新日:10月29日

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今の家に移り住んでから、今年で15年近くが経つ。

狭くて小さい家だが、一軒家だ。 よもや、まさかで、人生の中で一番長~く住んだ場所となってしまった。

一戸建ては集合住宅とは違った、しっかりグランディングする感じがあり、それが心地よい。

その前に住んでいたマンションは、もうこれ以上ここにいてはならない!という緊急事態により、まるで逃げ出すように今の家にやってきた。 あまり時間を掛けていられないので、とにかく選び方としては消去法。これまでに住んだことのない沿線で、都心から付かず離れずの距離で、家賃が無理なく払えて、バストイレは別で…云々。

時間を掛けていられないとは言っても、きっと一~二ヶ月くらいは掛かってしまうんだろうなと覚悟していたのが、実際は部屋探しに来た、その日の最後にするっと今の家を引き寄せたのでした。貸アパートでも貸マンションでもなく「貸家」と書いてあったのに、我が目を疑った。

物理的には隠れてないけど、隠れ家のような住処となった、古い小さな一戸建て。小さいながらも「自分だけの国」なんだと思う。


一度「この家を出なければ」という考えがよぎったのは福島の原発事故が起きた時。ちょうど失業状態だった時期でもあり、文字通りのサバイバルの問題が丸ごと起きてしまい、もう頭の中はパニック状態で家賃払うなんて無理。そもそも東京がどうなるのか分からない。


ひとまず親のところへ身を寄せるしかない…と、一晩かけて何を持ち出すのかを選び、荷物をまとめて、カバンを持ち、呼吸を整え、さあ!よし!!家を出るぞ!!!今!!!!と、気合と共に扉に手をかけた、その瞬間。 まるで見ていたのかと思うようなタイミングで、普段ほとんど使っていない固定電話が急に鳴り出し、それまでにまさにピークに達してた気合が、一気に崩れるような感じになったのでした。出鼻をくじかれたというか。


それと同時に「あ、存在は私を東京に居させようとしている」と、いう理解が頭の中にやってきたのでした。


電話は事務的な用件で、その説明を聞くために次の日にはそちらに出くことになり、結局は帰省することにはなりませんでした。慌てて送った荷物も、全部送り返してもらう羽目に。 その後、強い余震が何ヶ月も毎日続きますが、一度全身全霊で行動したことにストップがかかったという、全体のプロセスと「あ、存在は私を東京に居させようとしている」という理解で腹が決まったので、繰り返しやってくる揺れには怯えながらも、本当の意味でパニックに陥ることはなくなったのでした。


今、考えても、あの電話が鳴ったタイミングは、ミステリーでしたね。

この家に残らなければ、小さいながらもタロットや数秘を教えるとかワークショップをやるとか、自分で企画をやるという動きは、全く起きてこなかったと思う。


最近しみじみ思うのは、3.11の頃から比べると、確実に台風の規模が強くなっているので「災害に強い家に住みたい」なのでした。

揺れに耐えて、火に耐えて、水に耐えて、地上を走って、空も飛べるやつ。




 
 
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